「自由人」事始め(近況報告)「自由人」事始め(近況報告)つるぎ かずを 神様、ありがとう。自由人になれて、毎日感謝感謝の連続です。 それというのも、何せおいらは天下無双の素浪人(天下無敵の遊び人)、まずは瑣末な事象からお話しますと、 その1 朝寝はもとより、時間にまったく束縛されません(ただし、それでルーズになってしまう場合には、自己責任というペナルティがありますが) その2 ライブで世の中継がリアルタイムで見れること(編集済みのニュースや後追いのワイドショーではなく、リアルタイムでホンモノの生中継がテレビで見られます)。最近では投票日の翌日のテレビ中継も心おきなく観ることが出来ました。 その3 すまじきものは宮仕え、とは良く言ったものです。つまらない人間関係に煩わされることがなくなり、ストレスがまったく無くなりました。 しかし、本質的な部分で感謝しなくてならないのは、やはり、やりたいことが出来るということです。人生でやりたいことがある、というのはとても幸せなことです。同時に、やりたくてもいろいろな制約によって出来ない、ということも真実です。つまり、それが出来るということに今、感謝しています。 さて、おいらのように気ままに好きなことを書いて、そして、それで毎日が明け暮れる、これは理想的な暮らしです。しかし、ただ単に書き散らしていくだけでは、生計もたちませんし(贅沢をしない程度の蓄えはあると言っても)、面白くありません。おいらには、第2の人生で「もう一花咲かせたい」という夢と情熱とがあります。 これを具体的に言うと、昔から、魂に触れる作品=ワクワク・ドキドキする作品を残したい、という気持ちがとても強かったのです。本音を言うと、それで一発当てて(文学賞をゲットするかベストセラーを1本出して)、後はそのテーマをなぞってだらだら生きる人生、というのも良いなあと考えております。そうして、1年のうちで出来れば半年は好きな海外で暮らすというのが将来のおいらの青写真です。 前回もお話ししましたように、いずれはポルトガルかスペインにロングステイ(1回最低3ヶ月以上の移住)したいと考えています。早ければ、年内にも第1回目の下見に現地に行く予定です。ポルトガルとスペインにはまだ1回ずつしか行っていませんが、両国とも、ラテンでお国柄が明るいこと、日本人と同じような背丈で髪や眼が黒く、異国の感じがあまりしないこと、物価が日本の7割程度と安いこと(スペインは日本の7割、ポルトガルはスペインのさらに7割、つまり5割)、湿度が比較的低く、暮し易いこと、日本同様周囲を海で囲まれた国で魚がおいしく、炊飯器と味噌醤油があれば、日本食が楽しめること、ある程度英語が通じること(特に最近はフランスの別荘が高騰したため、ポルトガルの別荘がブームになっているということです)等により、移住するのに不自由はないようです。 おいらは、かつて、ポルトガルのリスボン近郊の港町で、まどろむ午後に一面の大西洋を目前にし、食堂の親父が七輪で焼いてくれた魚を肴に好きなビールやダン(地元のぶどう酒)を楽しみながら、たゆたう時間を過ごしたという至福の経験があり(たまりませんなあ)、その感動を嫁はんと分かち合いたいと思っているのです。 したがって、現段階の予定では年内をそのための助走期間とし、その後1年半の通算2年間で、天下無双の素浪人を気取りながら、物書き修行と海外移住の検討を横浜で行うつもりです。教職の道も閉ざそうとはしてはおりませんので、女子大での教職の道も密かに探っております。少々大袈裟ですが、おいらは命をかけてやっています。だから、それらの目処が立たなければ、きっぱりと生まれ故郷の広島に帰る予定です。そうして、作戦を練り直し、落ち着いた段階で海外ロングステイに突入するのもまた良いのではないか、と思っています。 このような考え方を実践するというのも、「1回しかない人生ですから、好きなようにやりたい」という、これまでに立てた計画を実現しようということと、「おそらく60才過ぎたら何にもできないよ。やるなら50才代までだよ」という先輩からの助言をベースにしたということがあります。さらに、前回もお話ししましたように、おいらの愛する家族の理解があるからだと考えています。おいらの生き方が団塊の世代のモデルの一つになればと思っている所以です。 ところで、今、取敢えず解決しなければならない問題に、手元資金の運用をどうするかがあります。退職金がある程度貰えましたので、流動性のある預金がいくばくか手に入ることになりました。その運用をどうするかは、おいらにとって大きな課題です。得てして運用部門にいた人間は、会社の金の運用はうまくても、自分のお金の運用はからきしダメというケースが多いようです。 そうならないためにも、おいらがどうしたのか(どうするのか)を中心に、次回はそのお話しをしてみましょう。 乞うご期待。オブリガード。 「自由人」事始め(近況報告) 団塊の世代たちよ(近況報告) 早期退職して2ヶ月と10日が経過し、また、昨日当ブログへのアクセス数が1,000回を突破したこともあるので、おいらの近況をお知らせする。 現在の状況は、小職のやりたいこと(創作・著述と海外ロングステイ検討)にエネルギーの70%、残りは読書、思索および気の合う人たちと話しをすることに使うようにしている。やっと自分の好きなことを中心に生活を組み立てることができそうである。 すなわち、これからは「できること」と「好きなこと」の乖離が生じないようにしたいと考えている。そうしないと、現役時代の繰り返しになってしまうからだ。 したがって、最近もおいらにある仕事を手伝って欲しいというありがたい依頼があったのだが、「できること」ではあるが、「好きなこと」ではないので、申し訳ないとして鄭重にお断りをさせていただいた。 では、具体的な日常は、どうしているのか。 平日は、月曜日を除いて、図書館通いである(図書館は月曜日がお休みなので、週休3日制)。お昼前からパソコン持参で自転車で訪れ、調べ物を始めとして、創作・著述、読書三昧である。夕方6時すぎに退出し、午後7時前には帰宅する日課である。健康にも良い生活である。 現在のおいらの目標は、年内に1本、某賞公募作品を完成させることである。原稿用紙400枚程度で構想はほぼ固まっており、現在、その下準備中である。その合間に、ポルトガル訪問の準備も初めており、今の予定では、公募作品完成後の来年早々には現地を訪問をしてみたいと考えている。 その他、雑文の原稿依頼等もあり、殊のほか忙しい毎日である。 ところで、お酒のお誘いは、原則として週2回までとしている。退職直後は、ほぼ毎日であったが、自分のペースを守りたいし、気の合う人以外はお断りすることにしたので、精神衛生上も良い。 映画の試写会を応募するとたまに当たるので、嫁はんと出かけ、帰路外食をする。グルメ同士なので、嫁はんとの外食は、月2~3回のペースを守っている。ときには、おいらも料理を作る。NYの単身赴任時代に鍛えたヤキソバ!を始めとして結構レパートリ-は広い。 旅もしたいし、嫁はんと温泉めぐりをする約束もしている。自転車が大好きなので、自転車での遠出もしてみたい。う~ん、時間は自由にあるのだが、皮肉にも自由な時間は、そうあるものではない。 と、まあ、以上のような、近況でありまする。HAVE A GOOD DAY !! 自由人事始め(近況報告) 関ネットワークス「情報の缶詰2006年5月号」(5月1日発行)に掲載した「自由人事始め:つるぎかずをの近況報告」をお贈りします。 昨年7月末退職後、すでに8ヶ月経った。サラリーマン気分が抜けきれたとはまだ言えないが、夢であった文人を自称し、自由気儘な生活をおくっている。以下、桜の時期のおいらの近況を報告する。 当初の予定どおり2年間はゆっくりとするつもりでいる。その間、充電も兼ねて将来への様々な準備を行う(大学での教職の道や海外ロングステイの夢も棄ててはいないので、試行錯誤を続ける)が、当面は文人生活を続け、書き物に専念するつもりでいる。そうして、現在の横浜での生活に芽が出れば良し、芽が出なければ故郷の広島で隠遁するのも良し(広島市内に自宅がある)と考えている。 昨年10月、55才を迎えた。すぐに老境がやってくる。好きなときに好きな本を読むという愉しみが味わえるのは、今のうちだけかもしれない。そのうち視力の低下や情熱の枯渇などがやってくる。さらに、ほとばしるアイデアを基に創作活動に打ち込むということも、脳が若いうちでなければ出来ないことである。放っておけば持ち腐れだ。今という貴重な時間は、今のうちに有意義に使えるものに使って始めて価値がでるものなのだ。したがって、現在は晴読雨眠(せいどく・うみん。晴れの日は図書館で精力的に書き物をし、雨の日は自宅で静養する)の生活である。まずは、第一弾のおいらの夢が叶ったのである。 さて、これまでのサラリーマン生活という抑圧から開放されたからであろうか、堰を切ったように様々なアイデアが次から次へと浮かんでくる。 良く考えてみると、昔から一人で何もしないでいると、荒唐無稽なアイデアが自然に思い浮かんでくる性質であった。これが新幹線なんぞに乗ると大変だ。本でも読んで感情移入でもしていない限り、想像力は限りなく膨らんでしまう。だから、旅にでるときはメモ帳が必須である。気がついたら書き込んでいる。最近はパソコンを携行しているので、アイデアはすぐにパソコンに入力するようにしている。 寝る前もそうである。創作の記述で気になるところが浮かぶと脳が覚醒する。寝るどころではない。すぐにメモしないと安心しては眠れない(翌朝100%忘れているからではあるが)。メモとライト付ペンは、寝床の常備薬だ。 ブログも毎日更新している。すでにおいらのブログには、延べ1万五千人以上の方々からのアクセス(ブログへの訪問)があった。朗報である。GOOGLE検索で「さすらいの天才不良文学中年」とだけ打ち込めば、おいらのブログのトップページが出てくるようになった(「つるぎかずを」「さすらいのカンチョーマン」でも同様)。 毎日、書き込むのは大変だろうと心配してくれる友人もいるが、困らない。アイデアが枯れることがないからだ。ために、相変わらず毎日のブログ更新も愉しみである。 さて、現在専念している書き物だが、種を明かせば小説の新人賞狙いである。嬉しいことに各出版社の新人賞の締め切りは、ほぼ3ヶ月置きにある(新人賞は月刊「公募ガイド」(公募ガイド社発行)に詳しい)。 したがって、今年は4作書き上げることが出来そうだ。すでに3月末締め切りの某新人賞を脱稿し、先月末に応募した。次の締め切りは6月末だが、この第2作目もあらかた完成している。 おいらの考えは、下手な鉄砲、数打ちゃ当たるである。 創作をして、それが簡単に認められるほど世の中はあまくない。したがって、質の良い作品を書き続けること、応募し続けること以外に道はないと思っている。そのために2年間を設定したのである。それと、欲張らないことである。兎に角まずは一作で良いから、おいらの創作が作品として認めてもらえば本望と考えている。 したがって、あの、山本一力氏(直木賞作家)の「最初から小説を書いて生計を立てる(借金の山を小説で返済をする)」といった心意気には脱帽してしまう。凄いと思う。 併し、その山本氏でさえ処女作は候補作止まりであったのだ。その後、2年かかってオール讀物新人賞を受賞するのだが、受賞後でさえ、第1作目の作品は編集者から書き直しを11回もさせられたという逸話が残っている(週間現代05年10月15日号)。鉄砲は数を打ち続けるしかない。 ところで、再三、ご報告していることだが、誤算と言うか残念であったのが、広島の母が脳梗塞で倒れたことだ。現在まだ入院中であり、リハビリに専念している。退院の見通しや今後のことは未定である。 太陽のような母であったからこそ、リハビリも明るく頑張ってはいるが、回復までの道のりはまだ長そうである。親孝行をしたいし、しなければいけない。今後も毎月広島に帰省する予定であるし、母のことも考えながら人生設計しなければならない。これだけは頭痛の種である。 さて、村上龍氏が書いていることだが、「作家というのは年齢制限もなく、人生で最後に選んでも良い職業だ」そうである。おいらも志だけは「千里の志」を大事にし、下手な鉄砲打ちを続けたい。 いずれにしても、現在は、書き物に専念出来る毎日が愉しみの連続である。自由人冥利に尽きる。そのほかにも自分の時間は自分で自由に使って良いという幸せや、金だけのためにしたくもないことをさせられるというストレスもない。精神衛生はすこぶる良い。後から振り返ってみると(結果はどうであれ)、第2の人生の夢を目指している今が、実は人生で一番充実しているときであったということになるのかもしれない。 自分で選んだ人生である。あながち間違った計画ではなかろうとも思う。このまま引き続き、第2の人生の夢に向かって走り続けたい。以上、おいらの近況のご報告である。 |